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毒親化する社会に抗う映画感想ブログ

この毒親化した社会では社会の構成員(映画の作り手を含む)が毒親みたいな人で占められた結果、「毒親映画」と評される作品以外にも毒親みたいな映画に遭遇して苦しんだり、 逆に「どうせ家族愛を過剰に美化する毒親映画だろう」と避けていた映画が実は違う、という事も起こりえます。

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  • 『遠い空の向こうに』…頑固親父だが毒親ではないと思う
    NHKーBSで放映されていましたが、地上波では放映されてない?
    様々な映画レビュアーさんが「地味だけど隠れた名画」と評していらっしゃいます。
    ・家族ドラマ  家族にはトラウマの思い出しかない
    ・ヒューマンドラマ  そのような生育環境で人を信じられない人間に育った
    ・青春ドラマ  自分が味わえなかった「人並の幸福に満ちた青春」を見せびらかされるのは地獄
    …というだけで鑑賞を避けたがる毒親サバイバーの方も多いと推察されますが、これは観ても大丈夫な映画だと思います・・・


    アメリカに先んじたソ連の人工衛星「スプートニク」の成功飛行を肉眼に焼き付けた少年が、
    やがてロケット技師を目指すきっかけを描いた実話(自伝小説『ロケット・ボーイズ』)に基づく映画。
    サクセス・ストーリー映画と解釈するなら拒絶反応が出る毒親サバイバーの方もいるでしょう・・・

    「お前の人生は失敗するに決まっている! なにせお前の人生だからな!」

    ・・・的な有言無限の毒親の圧力に苦しめられてきた毒親サバイバー・・・

    しかし、この映画はサクセス・ストーリーのほんの序章に過ぎません。
    21世紀なら子供でもペットボトルのロケットを飛ばせます。
    しかし、1957年10月にペットボトルはなく・・・鉄の胴体に燃焼材を詰めた少し本格的なロケットになります。

    1人では作れないので主人公は幼馴染とロケットボーイズを結成しますが、もし主人公の親が毒親で、絶えず親から否定されながら育っていたなら
    自分に自信が持てず対人コミュニケーションに支障をきたし「バカな事」に根気よく付きあってくれる友達は出来なかったでしょう。

    主人公の父親は頑固な炭鉱技師で自分の仕事に誇りを持っています。
    自分の息子が凡人であるなら自分と同じ仕事をするのが一番だと合理的に考えています。
    主人公の兄はアメフトで大学推薦が貰える人ですが、そんな兄と主人公を比較する事もなく、適材適所で良いじゃないか、という考えでしょう。

    この父親は決して主人公を「何をやってもダメな息子」とは決めつけておらず、息子のミニ・ロケット制作に手を貸したりもする・・・だから毒親・毒父ではありません、と思う。
    そしてある時・・・「アナタがそんなに頑固を貫くなら離婚します!」とまで口にして息子の味方をする母親も毒親・毒母ではありません。

    10月の空に高く高く打ちあがるロケット。息子が作ったロケットを初めて直視した父親。息子のロケットに見とれる父親の表情は最高で、世界に溢れるヒューマンドラマ・ホームドラマのあらゆる陳腐な場面やセリフを超えまくっていると思います。
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  • 『658km、陽子の旅』…「ぜんぶ自己責任です!私が悪うございました!」社会の毒親化を象徴する胸糞な弱者ヘイト映画
    毒親自体は・・・出てこないと思いますが・・・結果的に主人公は、毒親に洗脳された子供のごとく自分を駄目な人間と思い込みまくり
    「こうなったのは全部私の自己責任」と独白し、誰もそれを優しく否定してくれないので・・・

    毒親サバイバーの方にはお勧めできません。


    家に引きこもり、買い物は通販で済ませ、インスタント食品を食べながら非正規のリモートワークをしている対人不安症(コミュ症)の40代前半の独身女性が、
    急死した父親の葬儀に出席するために親戚の車に同乗して青森に向かうも、
    途中のトモノベ(友部?茨城県? 福島の震災・原発被災地を通るので常磐高速?)
    サービスエリアで迷子になり、所持金2,000円でヒッチハイクをしながら青森に向かいます。

    道中で良い人にも出会いますが、それ以上に悪い人に出遭います。
    コミュ症の主人公にイライラする、ひきこもり生活のせいで年齢相応の社会性が無い、共感できないとの意見も多そうですが、
    ヒッチハイクの車が荷物で一杯で乗れるのが「あと1人だけ」という時に、若い女性に乗車の権利を譲る優しい主人公ですよ。その結果がクズ男に捕まりアレですよ!

    道中、父親の幻影が主人公に付きまといます。毒親(毒父)または虐待のせいで、こんな内気な性格になったのか・・・と予測したからこそ・・・
    クズ男の件で、監督は一体何を描きたいのだ??? 物語の収集をどうつけるんだ???・・・と。


    少年達を長年毒牙にかけ続けたジャニー喜多川社長のモノマネをすると「俺と〇らさせてくれたら、ユーを青森に連れて行ってあげるよ」。
    やる事やって、その約束すら守らないんだからジャニー喜多川以下のクズ男だったな・・・

    要するに、ロスジェネ氷河期コミュ症は本人の怠惰による自己責任だから、ゆきずりの男にあんな事されても天罰で自業自得だと言いたいのか監督は!?


    結局、物語の終盤で車に乗せてくれたお礼(?)として「なぜ私がこんな引きこもり独身中年女になったのか」を漠然と語らせる事で物語のつじつまを合わせようとします。
    結局、全部セリフで説明という展開に唖然としました。しかも漠然とした点が多く、観客の想像力に丸投げしている感があります。

    夢を追い父親の反対を押し切って青森から上京した。当時は親に反抗できる程度にコミュ障ではなかったが、
    東京で夢を追ったが結果を出せず自信を無くして引きこもり・コミュ障になったそうな。
    コミュ障でないなら夢の世界に飛び込めるし、
    歌手が夢なら歌が、漫画家が夢なら絵が人より上手い・・・といった演出もない。
    主人公は本当に漠然すぎる概要を話すのみ。

    「ロスジェネ氷河期ひきこもり自己責任の甘えた独身ババァに特技・長所なんて有ってたまるかよ!!」とミソジニー論を展開したいのかな? あの無精ヒゲ面の監督男性は・・・


    「最初はほぼ無言だった主人公が、最後はこんなに話せるようになりましたよ!やったね!成長したね!思わず感動するでしょ!」
     ↑
    観客をバカにしていませんか!?? 単なる物語構成上のつじつま合わせのために喋らせてるだけでしょ!!!
    キャラクターが監督の操り人形に成り下がっている。


    「山田洋次監督の『十五才 学校IV』みたく、大人が優してくれるニキビ顔で未成年の中学生とは真逆で(ジャニーズ喜多川社長みたいな変態に捕まるリスクも有るけどね)、
    ヒッチハイクとの相性が悪い40代の独身コミュ症女性がヒッチハイクをすることになり・・・」
    という最初のアイディアだけが頼みで、後は監督がお得意な「映像が陰鬱で衝撃的な現実リアル路線」でテキトーにシナリオを作った結果だと思います。

    高評価を付けているレビュアーさん達に問いたい。どこが女性の成長と再生の旅なんだ??

    主人公が自己責任論で自分の心身を罰し、不当に懺悔を叫ぶ 胸糞映画 じゃないか。

    そして「こんなにボロボロになった主人公の心身をここまで追い詰め、誰も異を唱えない社会は明らかに変だよね?」というメッセージは全く伝わってこない冷酷な胸糞映画です。

    なんと監督の熊切和嘉氏はこの主人公と同じロスジェネ就職氷河期の世代だと知ってビックリ。

    「俺みたいに海外留学して映画賞も沢山とっている人間からしたら、氷河期世代だのロスジェネだのと女々しい嘆きは、努力しない人間の言い訳で甘えだ!」
    って事でしょうか???

    こういう氷河期世代&コミュ症ヘイト映画が作られ、こんな映画に「感動した」「リアルな現実描写が良い」「考えさせられる」などとプラスの評価がされる・・・

    これが「社会の毒親化現象」です。。。

  • 『キャロル・オブ・ザ・ベル・家族の絆を奏でる詩』…邦題が毒親サバイバーを寄せ付けない映画
    「家族の絆」というタイトルに傷つけられれそうになりますが・・・
    毒親サバイバーの方でも見られる、いや観て欲しいかも?・・・と個人的には思います・・・

    毒親サバイバーバーは世間の人々からの

    「家族の絆ハラスメント」

    に苦しめられていると思います。
    この映画、邦題だけ見て観るのを止めよう・・・と思われたサバイバーの方も多いと思います。
    しかし、鑑賞後の感想としては
    「感動映画です!」と煽りたい意図が見え見え&ダサダサな邦題を少し改編して・・・


    『キャロル・オブ・ザ・ベル・“家族”の絆を奏でる詩』


    にすれば内容に相違が無いと思います。ただの家族ではなく、“ ” 付きの家族です。

    この映画に出てくる「家族」は、戦争の混乱でキーウのアパートに身を寄せる事になった
    ウクライナ人、ポーランド人、ユダヤ人・・・そしてドイツ人で構成される
    赤の他人同士の家族だからです。

    侵略者であるロシアやナチスドイツの横暴に怯えながら互いに協力して戦時下を生き延びようとする生活。現代日本のような
    「お前は親不孝者に決まっているから早く親孝行しろ!」とか
    「お前は〇〇(兄弟姉妹や近所の子供)と比べて出来が悪いうえに伸びしろも無いごく潰し!」
    ・・・などと毒親トークで子供を傷つけている暇なんて全然ありません。

    TBSのAアナウンサー(中堅の男性)が某番組で
    「血のつながりのない、赤の他人の子を育てるなんて嫌だ」
    とうそぶいていたのを見て私は大変ショックを受けましたが、
    この映画を観て、その心の傷は修復されたような気がします。

    無慈悲な占領軍が闊歩する戦時下において、母親のあの決断は、偉大な無償の愛の実践で、毒親とは完全に真逆の存在と思うからです。