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舞台はサイパン島が陥落し(1944年・昭和19年)、
そこを拠点に敵さんが日本本土への空襲を開始し、都市の富裕層や子供達が、敵機の攻撃が無さそうな田舎へ疎開を始めなければならない太平洋戦争の末期。
主人公の一家は、軍需工場と共に田舎へ疎開。
社長である父親は「ダットサンで学校へ乗り付ける奴はいないだろう!」と得意げで、
当時は上流階級しか保有していなかった自家用車で投稿初日、校庭へ乗り付け子供を学校へ送る。
しかし主人公は父親と違って経済力や権威をかさに威張ったりしない大人しい少年なので
「日本社会において目立つ者・出る杭は打たれる」事を知っているから乗り気でなかったし、案の定ルサンチマンを抱いた田舎の悪童たちにボコボコにされる。
「道で転んで」側頭が禿げるレベルの大出血の怪我をした息子を見た父親は「誰がお前にこんな事をした!!」と激高する。
これは息子思いの無毒な父親ではなく「俺の所有物が汚され自分のプライドが傷ついた」事に怒り狂っている毒親(毒父)の臭いがする。
主人公の実母は少し前に不慮の事故で死去していて、父親は再婚したばかり。
主人公は疎開先の駅前で継母と落ち合う。
継母=新しいお母さんを主人公は「お母さん」と呼ばずファーストネームで呼ぶため、
打ち解けているようには見えず(毒父・毒母に限らず再婚相手・継母との関係は難しい)
そもそも毒親っぽい父親が息子の意見を聞かず勝手に結婚したと思われる。
なお戦前の「家父長制」の下では、親が子供の意見を聞かない事は当たり前の事と思われる。
サングラス姿の有名タレントが年末に「来年はどんな年になる?」と聞かれ「新しい戦前かもね」と発言して話題になったが、
毒親を量産する家父長制のあった戦前と、社会全体が毒親化している今の状況は確かに似ていると思うので、
あの大御所タレントは洒落にならない皮肉を言ったと感じる。
初出の場面で、継母は主人公に妊娠中のお腹を触らせ、「貴方の弟よ、よろしくね」的な事を言う。
多感な少年に対しては無神経な振る舞いという気もする。
恋愛は似たもの同士が惹かれ合うというし、似たもの夫婦・・・
毒父的な男に毒母的な女がくっつくのは道理である。
後に誰かが「ジゴクと呼ぶ場所」で継母は主人公に「貴方は私の事が嫌いなんでしょ!!」(だって私のこと「お母さん」って呼んでくれないじゃない)と毒をぶちまける。
子供が親の愛情を確かめために親にそれを言う場合は良いと思うが、その逆はマズイと思う。
「家長(主人公の父親)の判断は絶対」という戦前の家父長制に乗っかっている感じで、身勝手な女だな、と感じる。
いっぽうで、死んだ実母は主人公に、「昭和初期に刊行され、令和の日本でも読み継がれている、とある本」を主人公に授けていた事が本棚が崩れたときに判明する。その本を読んだ主人公は大泣きする。
毒親虐待サバイバーと思われる方が「主人公が、子供時代の親に会う話なんか観れたもんじゃない!!」と酷く傷ついているのをお見かけした事が有るが・・・
同じジブリ映画『思い出のマーニー』は、実母ではなく祖母に会う、という事で、毒親虐待サバイバーなどの方が傷つくリスクを低減していたと思う。
(そういう配慮が全くない映画作品の1つが、軽い気持ちで社会問題を描き、当事者たちを傷つける悪い癖がある細田守監督のアニメ映画『未来のミライ』である)
しかし宮崎駿は、『思い出のマーニー』のような手は使わず、「異世界のファンタジー」という舞台装置を使って、
直に実母の子供時代に会わせつつ、毒親虐待サバイバーなどの方が傷つくリスクを低減した点は流石だと思う。
毒父・毒母の要素も含めて、『君たちはどう生きるか』は性別が逆転した『千と千尋の神隠し』とも取れるが、
『千と千尋の神隠し』のような鑑賞後の勇気を貰えるような余韻は無く、
「分からない人は分からなくていい」と思いっきり突き放している感じの映画だった。
『千と千尋の神隠し』では、迷い込んだ神様の世界でドジった千尋に
「(初めて来た世界だもんね)千尋は悪くないよ。よく頑張ったね」(まさに毒親と真逆の神セリフ!!)
女を力で押さえつけて恋愛の主導権を男が握るための壁ドンではなく、
千尋を守るために覆いかぶさった壁ドンっぽいポーズ・・・などに魅了された小学生女子の間で「ハク様♡ブーム」が起きた・・・という平成の報道を記憶している。
しかし、令和の『君たちはどう生きるか』では、小学生男子の間で「あの勇敢な美少女に萌えるブーム」は起きないだろう。
お前はマザコンか! と突っ込まれたら誰も反論もできないので。。。
最初は印象最悪でも、冒険を共にして触れ合っていたら、いつの間にか友達に成れる事も・・・だから現実世界でも恐れずに友達を作ろう!?
いやいやいや・・・
学校とかで「本気で殺しに来る相手」と友達になる、は無理。
現代のイジメでも、加害者側は軽い気持ちでも、被害者にとって加害者は「本気で殺しに来る相手」ですよ。
かといって、こんな教師の対応はクソだよな!という皮肉として描かれている感じもしない。
昔は『金八先生』で管理教育に反対した武田鉄矢が、
いつの間にか口うるさいネトウ・・・保守おじぃちゃんになったのと同じ道を、
昔は「憎しみよりも友愛を」とナウシカ(漫画版)に言わせた宮崎監督もたどるのでしょうか。
そこを拠点に敵さんが日本本土への空襲を開始し、都市の富裕層や子供達が、敵機の攻撃が無さそうな田舎へ疎開を始めなければならない太平洋戦争の末期。
主人公の一家は、軍需工場と共に田舎へ疎開。
社長である父親は「ダットサンで学校へ乗り付ける奴はいないだろう!」と得意げで、
当時は上流階級しか保有していなかった自家用車で投稿初日、校庭へ乗り付け子供を学校へ送る。
しかし主人公は父親と違って経済力や権威をかさに威張ったりしない大人しい少年なので
「日本社会において目立つ者・出る杭は打たれる」事を知っているから乗り気でなかったし、案の定ルサンチマンを抱いた田舎の悪童たちにボコボコにされる。
「道で転んで」側頭が禿げるレベルの大出血の怪我をした息子を見た父親は「誰がお前にこんな事をした!!」と激高する。
これは息子思いの無毒な父親ではなく「俺の所有物が汚され自分のプライドが傷ついた」事に怒り狂っている毒親(毒父)の臭いがする。
主人公の実母は少し前に不慮の事故で死去していて、父親は再婚したばかり。
主人公は疎開先の駅前で継母と落ち合う。
継母=新しいお母さんを主人公は「お母さん」と呼ばずファーストネームで呼ぶため、
打ち解けているようには見えず(毒父・毒母に限らず再婚相手・継母との関係は難しい)
そもそも毒親っぽい父親が息子の意見を聞かず勝手に結婚したと思われる。
なお戦前の「家父長制」の下では、親が子供の意見を聞かない事は当たり前の事と思われる。
サングラス姿の有名タレントが年末に「来年はどんな年になる?」と聞かれ「新しい戦前かもね」と発言して話題になったが、
毒親を量産する家父長制のあった戦前と、社会全体が毒親化している今の状況は確かに似ていると思うので、
あの大御所タレントは洒落にならない皮肉を言ったと感じる。
初出の場面で、継母は主人公に妊娠中のお腹を触らせ、「貴方の弟よ、よろしくね」的な事を言う。
多感な少年に対しては無神経な振る舞いという気もする。
恋愛は似たもの同士が惹かれ合うというし、似たもの夫婦・・・
毒父的な男に毒母的な女がくっつくのは道理である。
後に誰かが「ジゴクと呼ぶ場所」で継母は主人公に「貴方は私の事が嫌いなんでしょ!!」(だって私のこと「お母さん」って呼んでくれないじゃない)と毒をぶちまける。
子供が親の愛情を確かめために親にそれを言う場合は良いと思うが、その逆はマズイと思う。
「家長(主人公の父親)の判断は絶対」という戦前の家父長制に乗っかっている感じで、身勝手な女だな、と感じる。
いっぽうで、死んだ実母は主人公に、「昭和初期に刊行され、令和の日本でも読み継がれている、とある本」を主人公に授けていた事が本棚が崩れたときに判明する。その本を読んだ主人公は大泣きする。
毒親虐待サバイバーと思われる方が「主人公が、子供時代の親に会う話なんか観れたもんじゃない!!」と酷く傷ついているのをお見かけした事が有るが・・・
同じジブリ映画『思い出のマーニー』は、実母ではなく祖母に会う、という事で、毒親虐待サバイバーなどの方が傷つくリスクを低減していたと思う。
(そういう配慮が全くない映画作品の1つが、軽い気持ちで社会問題を描き、当事者たちを傷つける悪い癖がある細田守監督のアニメ映画『未来のミライ』である)
しかし宮崎駿は、『思い出のマーニー』のような手は使わず、「異世界のファンタジー」という舞台装置を使って、
直に実母の子供時代に会わせつつ、毒親虐待サバイバーなどの方が傷つくリスクを低減した点は流石だと思う。
毒父・毒母の要素も含めて、『君たちはどう生きるか』は性別が逆転した『千と千尋の神隠し』とも取れるが、
『千と千尋の神隠し』のような鑑賞後の勇気を貰えるような余韻は無く、
「分からない人は分からなくていい」と思いっきり突き放している感じの映画だった。
『千と千尋の神隠し』では、迷い込んだ神様の世界でドジった千尋に
「(初めて来た世界だもんね)千尋は悪くないよ。よく頑張ったね」(まさに毒親と真逆の神セリフ!!)
女を力で押さえつけて恋愛の主導権を男が握るための壁ドンではなく、
千尋を守るために覆いかぶさった壁ドンっぽいポーズ・・・などに魅了された小学生女子の間で「ハク様♡ブーム」が起きた・・・という平成の報道を記憶している。
しかし、令和の『君たちはどう生きるか』では、小学生男子の間で「あの勇敢な美少女に萌えるブーム」は起きないだろう。
お前はマザコンか! と突っ込まれたら誰も反論もできないので。。。
最初は印象最悪でも、冒険を共にして触れ合っていたら、いつの間にか友達に成れる事も・・・だから現実世界でも恐れずに友達を作ろう!?
いやいやいや・・・
「お前の心臓をえぐってやる!」と叫んで、本気で殺しに来る相手とは無理でしょう。
第二次世界大戦とかで、何十年の時を経て、同じ戦場をくぐりぬけた元・兵士同士が、かつての敵国の人間と仲良くなったという美談は聞きますけど・・・学校とかで「本気で殺しに来る相手」と友達になる、は無理。
現代のイジメでも、加害者側は軽い気持ちでも、被害者にとって加害者は「本気で殺しに来る相手」ですよ。
『君たちはどう生きるか』はイジメ被害者にも喧嘩を売りかねない映画だと感じる。
「仲直りの印として握手しろ」なんてシーンも有りますが、これは事なかれ主義のクソ教師とやっている事が同じです。かといって、こんな教師の対応はクソだよな!という皮肉として描かれている感じもしない。
宮崎駿は観客に「貴様らは打たれ弱い。いちいち傷つくな!」って言いたいのか?
いつから宮崎駿は戦前の日本軍みたいな「精神至上主義」の人になったんだ?
それまでの作品で反戦や平和を訴えていたのとは、ずいぶん真逆ですね。。。昔は『金八先生』で管理教育に反対した武田鉄矢が、
いつの間にか口うるさいネトウ・・・保守おじぃちゃんになったのと同じ道を、
昔は「憎しみよりも友愛を」とナウシカ(漫画版)に言わせた宮崎監督もたどるのでしょうか。
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