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毒親自体は・・・出てこないと思いますが・・・結果的に主人公は、毒親に洗脳された子供のごとく自分を駄目な人間と思い込みまくり
「こうなったのは全部私の自己責任」と独白し、誰もそれを優しく否定してくれないので・・・
家に引きこもり、買い物は通販で済ませ、インスタント食品を食べながら非正規のリモートワークをしている対人不安症(コミュ症)の40代前半の独身女性が、
急死した父親の葬儀に出席するために親戚の車に同乗して青森に向かうも、
途中のトモノベ(友部?茨城県? 福島の震災・原発被災地を通るので常磐高速?)
サービスエリアで迷子になり、所持金2,000円でヒッチハイクをしながら青森に向かいます。
道中で良い人にも出会いますが、それ以上に悪い人に出遭います。
コミュ症の主人公にイライラする、ひきこもり生活のせいで年齢相応の社会性が無い、共感できないとの意見も多そうですが、
ヒッチハイクの車が荷物で一杯で乗れるのが「あと1人だけ」という時に、若い女性に乗車の権利を譲る優しい主人公ですよ。その結果がクズ男に捕まりアレですよ!
道中、父親の幻影が主人公に付きまといます。毒親(毒父)または虐待のせいで、こんな内気な性格になったのか・・・と予測したからこそ・・・
クズ男の件で、監督は一体何を描きたいのだ??? 物語の収集をどうつけるんだ???・・・と。
少年達を長年毒牙にかけ続けたジャニー喜多川社長のモノマネをすると「俺と〇らさせてくれたら、ユーを青森に連れて行ってあげるよ」。
やる事やって、その約束すら守らないんだからジャニー喜多川以下のクズ男だったな・・・
結局、物語の終盤で車に乗せてくれたお礼(?)として「なぜ私がこんな引きこもり独身中年女になったのか」を漠然と語らせる事で物語のつじつまを合わせようとします。
結局、全部セリフで説明という展開に唖然としました。しかも漠然とした点が多く、観客の想像力に丸投げしている感があります。
夢を追い父親の反対を押し切って青森から上京した。当時は親に反抗できる程度にコミュ障ではなかったが、
東京で夢を追ったが結果を出せず自信を無くして引きこもり・コミュ障になったそうな。
コミュ障でないなら夢の世界に飛び込めるし、
歌手が夢なら歌が、漫画家が夢なら絵が人より上手い・・・といった演出もない。
主人公は本当に漠然すぎる概要を話すのみ。
「最初はほぼ無言だった主人公が、最後はこんなに話せるようになりましたよ!やったね!成長したね!思わず感動するでしょ!」
↑
観客をバカにしていませんか!?? 単なる物語構成上のつじつま合わせのために喋らせてるだけでしょ!!!
キャラクターが監督の操り人形に成り下がっている。
「山田洋次監督の『十五才 学校IV』みたく、大人が優してくれるニキビ顔で未成年の中学生とは真逆で(ジャニーズ喜多川社長みたいな変態に捕まるリスクも有るけどね)、
ヒッチハイクとの相性が悪い40代の独身コミュ症女性がヒッチハイクをすることになり・・・」
という最初のアイディアだけが頼みで、後は監督がお得意な「映像が陰鬱で衝撃的な現実リアル路線」でテキトーにシナリオを作った結果だと思います。
高評価を付けているレビュアーさん達に問いたい。どこが女性の成長と再生の旅なんだ??
なんと監督の熊切和嘉氏はこの主人公と同じロスジェネ就職氷河期の世代だと知ってビックリ。
「俺みたいに海外留学して映画賞も沢山とっている人間からしたら、氷河期世代だのロスジェネだのと女々しい嘆きは、努力しない人間の言い訳で甘えだ!」
って事でしょうか???
こういう氷河期世代&コミュ症ヘイト映画が作られ、こんな映画に「感動した」「リアルな現実描写が良い」「考えさせられる」などとプラスの評価がされる・・・
「こうなったのは全部私の自己責任」と独白し、誰もそれを優しく否定してくれないので・・・
毒親サバイバーの方にはお勧めできません。
家に引きこもり、買い物は通販で済ませ、インスタント食品を食べながら非正規のリモートワークをしている対人不安症(コミュ症)の40代前半の独身女性が、
急死した父親の葬儀に出席するために親戚の車に同乗して青森に向かうも、
途中のトモノベ(友部?茨城県? 福島の震災・原発被災地を通るので常磐高速?)
サービスエリアで迷子になり、所持金2,000円でヒッチハイクをしながら青森に向かいます。
道中で良い人にも出会いますが、それ以上に悪い人に出遭います。
コミュ症の主人公にイライラする、ひきこもり生活のせいで年齢相応の社会性が無い、共感できないとの意見も多そうですが、
ヒッチハイクの車が荷物で一杯で乗れるのが「あと1人だけ」という時に、若い女性に乗車の権利を譲る優しい主人公ですよ。その結果がクズ男に捕まりアレですよ!
道中、父親の幻影が主人公に付きまといます。毒親(毒父)または虐待のせいで、こんな内気な性格になったのか・・・と予測したからこそ・・・
クズ男の件で、監督は一体何を描きたいのだ??? 物語の収集をどうつけるんだ???・・・と。
少年達を長年毒牙にかけ続けたジャニー喜多川社長のモノマネをすると「俺と〇らさせてくれたら、ユーを青森に連れて行ってあげるよ」。
やる事やって、その約束すら守らないんだからジャニー喜多川以下のクズ男だったな・・・
要するに、ロスジェネ氷河期コミュ症は本人の怠惰による自己責任だから、ゆきずりの男にあんな事されても天罰で自業自得だと言いたいのか監督は!?
結局、物語の終盤で車に乗せてくれたお礼(?)として「なぜ私がこんな引きこもり独身中年女になったのか」を漠然と語らせる事で物語のつじつまを合わせようとします。
結局、全部セリフで説明という展開に唖然としました。しかも漠然とした点が多く、観客の想像力に丸投げしている感があります。
夢を追い父親の反対を押し切って青森から上京した。当時は親に反抗できる程度にコミュ障ではなかったが、
東京で夢を追ったが結果を出せず自信を無くして引きこもり・コミュ障になったそうな。
コミュ障でないなら夢の世界に飛び込めるし、
歌手が夢なら歌が、漫画家が夢なら絵が人より上手い・・・といった演出もない。
主人公は本当に漠然すぎる概要を話すのみ。
「ロスジェネ氷河期ひきこもり自己責任の甘えた独身ババァに特技・長所なんて有ってたまるかよ!!」とミソジニー論を展開したいのかな? あの無精ヒゲ面の監督男性は・・・
「最初はほぼ無言だった主人公が、最後はこんなに話せるようになりましたよ!やったね!成長したね!思わず感動するでしょ!」
↑
観客をバカにしていませんか!?? 単なる物語構成上のつじつま合わせのために喋らせてるだけでしょ!!!
キャラクターが監督の操り人形に成り下がっている。
「山田洋次監督の『十五才 学校IV』みたく、大人が優してくれるニキビ顔で未成年の中学生とは真逆で(ジャニーズ喜多川社長みたいな変態に捕まるリスクも有るけどね)、
ヒッチハイクとの相性が悪い40代の独身コミュ症女性がヒッチハイクをすることになり・・・」
という最初のアイディアだけが頼みで、後は監督がお得意な「映像が陰鬱で衝撃的な現実リアル路線」でテキトーにシナリオを作った結果だと思います。
高評価を付けているレビュアーさん達に問いたい。どこが女性の成長と再生の旅なんだ??
主人公が自己責任論で自分の心身を罰し、不当に懺悔を叫ぶ 胸糞映画 じゃないか。
そして「こんなにボロボロになった主人公の心身をここまで追い詰め、誰も異を唱えない社会は明らかに変だよね?」というメッセージは全く伝わってこない冷酷な胸糞映画です。なんと監督の熊切和嘉氏はこの主人公と同じロスジェネ就職氷河期の世代だと知ってビックリ。
「俺みたいに海外留学して映画賞も沢山とっている人間からしたら、氷河期世代だのロスジェネだのと女々しい嘆きは、努力しない人間の言い訳で甘えだ!」
って事でしょうか???
こういう氷河期世代&コミュ症ヘイト映画が作られ、こんな映画に「感動した」「リアルな現実描写が良い」「考えさせられる」などとプラスの評価がされる・・・
これが「社会の毒親化現象」です。。。
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